【3】ダーウィン理論の正体 『死に追い込むいじめの元凶』
日本ではいじめが深刻です。文科省の発表によると、2019年度のいじめ認知件数は前年度に比べ6万8563件増え、61万2496件に達しています。昨年春以降はコロナによる差別も加わって状況は悪化していると考えられます。
子どもがいじめ行為をする原因は何でしょうか。
米アトランティック大学などが思春期の男女1409人に対して行った調査があります。(参考: https://mbp-japan.com/jijico/articles/29204/)
それによると、いじめ行為をした子どもの親は子どもに対して「そんなこともできないの」「ダメな子ね」といった冷笑的、敵対的な態度をとっていたというのです。
子どもをいじめに追い込む親の言葉
子どもの態度を認めてあげ、見守りながら愛を注いでいくというのが親らしい親の姿ですが、子どもに裁きのような否定的な言葉を浴びせ続けるなら、子どもの心にはさみしさとうっ憤がたまっていきます。
ですから、そのような子どもは教室の中で「おとなしい子」「個性的な子」らを攻撃したりすることによって、自分が上に立って優越感をもったり、自分のさみしさ、うっ憤を解消していると考えられます。
いじめられた子どもの多くは教師に告げたがりません。教師に告げれば、もっといじめがひどくなるかもしれないという恐怖心があるからです。そして、先生に言っても解決してもらえないだろうと子どもが感じているからでしょう。
実際に子どもがいじめを受けていると担任教師にもSOSサインを送っても教師がそれを真剣に受け止めないために悲劇的結末に終わってしまうことが多いとされています。増加するいじめ自殺は、多くの教師が尊い命が邪悪なものたちによって玩具にされているのを静観する事なかれ主義に流されているということを反映しているのではないかと思います。
さらに、学校の教師の間で、命の尊さを真剣に語ることができる人が少ないのではないかということです。
神戸の小学校では教師たちが一人の教師をいじめるという、あってはならない事件も発生しました。文科省によると、懲戒や訓告を受けた公立学校の教員が増加の一途をたどり、わいせつ行為などの理由が7割を占めるようになっているといいます。
子どもたちは道徳で「命の尊さ」を学びますが、命を尊び、人を愛するということにおいて子どもたちが信頼し、尊敬し得るモデル的存在になっている先生はどれくらいいるのだろうか?と感じます。
子どもにとって教師の生き方は、大人全部の生き方と映ります。いじめに対する事なかれ主義的な対応の仕方は、「結局、大人も自分が一番かわいくて、自分を守る生き方をしているんじゃない」というメッセージを子どもたちに送っているのではないでしょうか。
『いじめと探偵』の著者、阿部泰尚氏は子どもたちのいじめは大人の真似であるとして、「大人社会がもう一つ精神的に成長して、子どもたちに何をしてはならないのか、ということを示すことができない限り、悲惨な問題はなくならない」と警告しています。
しかし、脳科学者中野信子氏はいじめはなぜなくならないのかについて著書の中で、進化論を前提に次のように書いています。
「(いじめをするための機能は)人間の歴史として、人間がこれまで進化し生き残ってくるために必要不可欠だった」
「“いじめ”という行為は種を保存するための本能に組み込まれている」
いじめが本当に進化の過程で獲得したものであるなら、永遠になくならないし、解決策も見出すことは困難です。
いじめがなくならない本当の理由
しかし、「いじめは本能」なのではなく、いじめの価値観、「弱肉強食」の価値観をもたらす進化論が私たちの心まで根付いているからいじめがなくならないのです。
「強い者が弱い者を支配し淘汰させてきた」「人間は偶然の産物にすぎない」という価値観は、「命の尊さ」を説く道徳を根っこから無価値化して、駄目にしてしまっているからです。
「進化論は常識」という状況が続く限り、いじめを解決することはできません。
従来、道徳や家庭倫理を衰退させ、感謝する心を忘れさせている価値観として物質主義がよく指摘されてきました。物質主義は多くの富を得て安楽な生活を追求することが人生の目的だと考え精神的なものを軽視する風潮ですが、その奥底で進化論は、弱肉強食あるいは利己的個人主義で生きることを助長するメッセージを送り続けているのです。
このメッセージは学校の授業、教科書、周りの人の話、テレビ、書籍、インターネットなど身の回りから常に浴びせられていて、私たちはがんじがらめと言ってもよいほどです。物質主義、唯物主義の奴隷になるように、フェイク・サイエンス(エセ科学)である進化論は人間精神を拘束しているのです。
これに対して、進化論を克服して見えてくる結論は、人間一人ひとりは、この宇宙を段階的に創造した存在から生まれ、愛され尊ばれているということ。「私」を生み、絶対的に価値視している存在からの愛に感動したならば、周囲の人、他の人に対しても愛したいという心が湧き上がってくるのです。
進化論だけを教え込まれ、窒息するような文化の中で育っている青少年たちにこのような内容を共有していけば、「命の尊さ」「生きる意味」を本質的な次元でとらえることができるようになるでしょう。このような希望を与える教育を子どもたちに行って、いじめの無い社会をつくっていく、それが次世代に対する大人の責任だと思います。 これまで人種差別、少数民族弾圧、いじめ問題の根源に進化論があることみてきました。人類文明の中で進化論はどのように作用しているのかをイメージしやすくするため、次回はプラトンの「洞窟の比喩」を用いて話をしていきます。
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