地球・大氷解時代がやってくる! ・・・支配か共生か ーまとめにかえてー
近年、スイスの氷河では、過去に遭難した登山家の遺品やミイラとなった遺体が数多く発見されるようになりました。状態の良い400年前の商人の持ち物、旧石器時代の人骨など、歴史的な発見も少なくありません。今、スイスでは氷河が徐々に溶け出しており、今まで氷に埋まって風化を免れた史料が地表に現れているのです。研究者の予測では、スイスの氷河は2090年には溶けてなくなると言われています。
最新データからわかった、極地の氷の融解
溶け出しているのは氷河だけではありません。最新の研究では、グリーンランドと南極の氷が、研究者が想定する最悪のシナリオで溶け出しているということがわかってきました。グリーンランドが1992年以降に失った氷の量は4兆2000億トン以上にも達し、なんと琵琶湖の100倍以上の水量が海にすでに流れ出したという計算になります。これによって、地球全体の海面が1cm上昇しました。グリーンランドを含めた、地球全体の氷の融解によって生じた海面上昇はこの数十年で20cmと言われています。
また、南極の氷の流出については、地理的条件の困難から、今まで正確なデータを割り出すことができていませんでした。しかし近年の衛星観測の発展により、氷の海洋への流出量を測れるようになり、結果、研究者の予想を3倍も上回る、毎年2400億トンもの氷が海に流れ出していたことがわかりました。もはや、庶民的な感覚ではピンとこない、天文学的数字です。言わずもがな、氷の海洋への流出量は加速度的に増加しています。
このように、地球上の真水の90%を占めている氷が溶け出すことによって、海面上昇が近年深刻になってきています。地球のあらゆる氷が溶け出すことで、2100年には海面がおよそ1m上昇すると言われているのです(註1)。では、この海面上昇によって私たちの生活にはどのような影響が及ぶのでしょうか。
数センチの差が、ゲームを決するのと同様に…
想像してみてください。バスケットの試合でゴールの高さが10センチ低くなったら、どうなるでしょうか。ダンクシュートやレイアップシュートが格段に優しくなり、得点率は飛躍的に上がるでしょう。野球のストライクゾーンが5cm広くなったらどうでしょうか。格段にピッチャーに有利になり、優秀なピッチャーをもつチームに有利に働くでしょう。このようにスポーツの世界では数センチ、時には数ミリの差が非常に重要な意味を持ちます。
海面上昇も同じです。数cmの上昇、これは数字だけを見ると僅かな差にしか見えません。しかし、この数字を軽く見ることはできません。たとえば、オセアニアのフィジー諸国をはじめとした諸島国家では、この数センチの海面上昇により、海水が河川に逆流し、作物や飲水の確保が難しい状況が続いています。これらの国家から多数の住民がニュージーランドに難民としての移住を強いられています。また海面がこのまま上昇していけば、海抜の低い諸島国家のみならず、香港やニューヨークなど、海岸線に属する海抜の低い大都市が、洪水や高潮などの危機にさらされていきます。すでにニューヨークの一部では年10回程度の浸水被害が報告されています(註2)。また数センチと言わず、100年後には88cm程度海面が上昇すると言われていますから、これら海外の都市のみならず、東京の港区や品川などの湾岸地域も、もはや住めなくなるでしょう。海面上昇の問題は、決して対岸の火事ではありません。
畳み掛けるようですが、氷の融解は気候変動にも大きな影響を与えます。北極の氷が溶けると、真水と海水の塩分濃度の差が小さくなりますが、これによって北大西洋地域の海流の流れが遅くなっていくのです。「塩熱循環」と呼ばれる、この地球規模の海流の循環が弱くなると、ヨーロッパでは寒冷、乾燥の時代がやってきます。そして今、この循環が崩壊する可能性があります。海流の変化が世界中で報告されており、昨今の異常気象をもたらしているのです。日本のゲリラ豪雨や変則的な台風の進路も、この海流変化で説明がつきます。
何万年と、気の遠くなるような歴史の中で作り上げられた氷河や氷床が、この数十年で一気に溶けるのを、私たちは指をくわえて見ているしかないのでしょうか。歴史的にも、地球環境的にも、この「氷」は立派な公共財産です。一刻も早い環境問題への対策が願われています。
さて、コラム第1回、第2回と環境問題の現状について取り上げてきました。危機的状況ばかりが目につく環境問題ですが、この問題は私たちに、自然とどう向き合うかという点で重要な問題提起をしてくれています。最終回の今回は、この論点について簡単に触れ、まとめにさせていただきたいと思います。
支配か共生か、私たちは今、選択を迫られている
自然と動物そして自然と人間。この両者の自然に対する関わり方の違いはなんでしょうか。それは生息分布によく現れています。たとえばコアラはユーカリの葉をはじめとする数種の葉しか食べないため、ユーカリが生えているオーストラリアでしか生息できません。人間を除く他の動物の生存は、環境に大きく左右され、依存するということです。その結果、地域ごとに形成される食物連鎖の一定の地位を占めて、うまく共生していくのです(註3)。
一方人間は、環境の変化を、知能と道具によって克服し、ある程度どの気候帯でも居住することができるようになりました。そこで家畜を飼ったり、工場を立てたりして、自然環境を利用しながら生活の利便性を高めてきたのです。そしてどの地域どの環境でも、食物連鎖の頂点に立つのです。言ってしまえば、自然をコントロールしてきたのです。
しかし、人間が無下に自然を支配しようとすれば、必ず反作用が生じます。この反作用こそ海面上昇であり、環境問題です。今、自然を人類文明の発展の道具とみて、開発しようとする向きは、今や常識のようになっています。人間が環境を支配する正当性を、進化論が与えているからです(註4)。
自然環境の持つ意味を「偶然の産物」にまで落とし込み、支配を正当化した進化論。しかしこの現状を地球はもはや許しはしません。地球環境をほしいままに支配した人間が、今度は地球の叫びを受け入れなければならない時が訪れています。今、このメッセージをしかと受け止めて人間の側が変わらなければ、後戻りのできない瀬戸際まで、地球を追い込んでしまいました。自然と真に共生できる価値観があるのか、人類はこれから本当に変わっていけるのか、それらの答えを明確に正していくべき時が今なのではないかと痛感しています。
では、自然支配を正当化したのが進化論であれば、自然との共生を正当化する理論・思想はあるのか。人間が自然と調和するのは、同じ動物だからという「いのちの重み」理論だけでは不十分です。それでは裏を返して弱肉強食的な考え方も同時に成り立ってしまうでしょう。知能と道具そして言葉と愛を持つ人間が自然と真に共生する新しい自然観、生命観が必要とされています。
GCODEは、ID理論を発展させた立場から、改めて生命とは何か、「進化」とはなんだったのか、人生の目的とはなんなのか、そして人間にとって地球環境はなんなのか、その全てに明確な回答を与え、人間と自然が真に共に生きていく未来を描こうとしています。ぜひ、今後の議論にご期待ください。
(註1)地球の氷が溶け出す原因についてはコラム第一回をご参照ください。
(註2)ニューヨーク市:海面上昇で洪水多発の恐れ(Bloomberg 動画リポート)
https://www.bloomberg.co.jp/news/videos/2020-07-28/QE65G4T1UM0Z01
(註3)ミクロの世界では食うか食われるかの様相を呈していても、全体で見たときには食物連鎖の調和を保っているのです。
(註4)進化論が人間の思想や考え方、世界観に与えた影響については、第一回目のコラムおよび原田氏のコラムにて詳述しております。
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