生命科学が明らかにしたデザインの存在 ④ 酵素たちの余りにも見事な『連携プレー』

胸がドキドキ、その時、肝臓は?

 何か危険を感じてドキドキするようなとき、副腎からアドレナリンが分泌されて、血流を通してアドレナリンが体中を駆け巡っています。脈拍が上がるのはこのアドレナリンの働きの一つですが、実は肝臓もアドレナリンに反応して大きな働きをしているのです。身に迫る危険を避けるためには走って逃げたりするような動きが必要になってきます。そのために必要なエネルギー源として、肝臓は蓄えているグリコーゲンをグルコースに分解して血液中に放出しているのです。

 グリコーゲンというのはグルコースがつながった長い分子です。肝臓にはグルコースをつなげてグリコーゲンを作る酵素と、グリコーゲンをばらばらに切断してグルコースを作る酵素が存在しています。肝臓は、体の中に余分なグルコースがある場合にはそれをグリコーゲンにして蓄え、グルコースが必要に時には、グリコーゲンからグルコースを作り出しているのです。

連携プレーによって数万倍にパワーアップ!

 危険が迫っているといったような、グルコースが大量に必要な事態になったとき、肝臓はグリコーゲンを作る酵素の働きを止め、グリコーゲンを切断する酵素を大量に働かせる必要があります。このために以下のような巧妙なしくみが備わっているのです。

1.アドレナリンが細胞表面の受容体に結合

アドレナリンが細胞の表面にあるアドレナリン受容体に結合すると、受容体の細胞内部に露出した部分が変形し、この部分が「Gタンパク質」という分子を活性化させる酵素としてはたらきます。

2.小さな「情報伝達分子」数十個を放出

Gタンパク質が移動し、「アデニル酸シクラーゼ」という酵素に結合すると、この酵素がATPから「cAMP(サイクリックアデノシン1リン酸)」という情報伝達分子をつくり出し、それを細胞内に放出します。cAMPのような小さな分子は細胞内にすばやく広がっていきます。

3.酵素が連携して、グルコースをつくる酵素数千個を活性化

cAMP数十個が「プロテインキナーゼ」という酵素数十個に結合し、酵素を活性化させます。プロテインキナーゼ数十個は「ホスホリラーゼキナーゼ」数百個を活性化します。さらにホスホリラーゼキナーゼ数百個が「グリコーゲンホスホリラーゼ」数千個を活性化します。また、これと同時に、グルコースからグリコーゲンをつくる酵素(グリコーゲンシンターゼ)がプロテインキナーゼよって不活性化されます。

4.グリコーゲンが分解され、数万個のグルコースができる

グリコーゲンを分解する酵素「グリコーゲンホスホリラーゼ」数千個がはたらきはじめ、数万個の「グルコース1リン酸」ができます。このグルコース1リン酸はまた別な酵素によってグルコースにかえられ、血液中に放出されます。

グリコーゲン分解の図

 このように、最初の反応の引き金が引かれると、それ以降の反応が連鎖的に行われ、最初の小さな変化が増幅されるような反応は、血液凝固系などにもみられますが、「カスケード反応」と呼ばれています。瞬時に効果的な反応を起こすための本当に巧妙なしくみですね。

 進化論にかぶれたテレビ番組などでは、「数億年にもわたる、突然変異と自然選択が成し遂げた進化の妙技です」などと表現するのかもしれませんが、冷静になってよく考えてみると、そのようなことは到底起こり得るとは思えないようなおとぎ話のようなものであることがわかります。

このしくみ、一体どうしてできたの?

 唯物論や進化論では、この世界には目的やデザインというものは存在しないと考えているようですが、構想やデザインが存在しないということは、具体的には一体どのようなことを意味しているのでしょうか。

 それは、このようなシステムを作り上げているそれぞれの構成要素がみな、互いに何ら意図的な関連性を持たない、全く別個の独立した存在であるということを意味しているはずです。

 危険を感じてアドレナリンを分泌するという事象と、肝臓の中でグリコーゲンを蓄えている細胞の細胞膜にアドレナリンの受容体が存在するという事象も、互いに全く無関係に独自に生じた事象と理解せざるを得なくなります。また、その後のカスケード反応で活躍する多くの構成要素の全てが、本来は相互に何ら関係性を持たないはずの、それぞれが互いに全く無関係に独立して別々に生じた存在であったと考えざるを得ません。そして、このようなカスケード反応の結果として、大量のグルコースが血液中に放出されるわけですが、何とそのことが、危険を感じてアドレナリンを分泌する目的にぴったりと合致しているのです。

 進化論では、生物の持つ合目的性を自然選択の結果であると説明しますが、全ての構成要素が揃わなければ成立し得ず、機能を持ち得ない、このようなシステムが自然選択によって漸進的に出来上がったと考えることはできません。

 このような巧みなシステムは本当に偶然の積み重ねによって出来上がったのでしょうか。
進化論を信じている人たちは本当にそんなことを信じているのでしょうか。
私にはおとぎ話のように思えるのですが・・・

 デザインという観点から生物を観察した場合、多くの事柄が違和感なくよく理解でき、詳しいしくみが分かれば分かるほど、「なるほどそうだったのか」と深く納得がいくようになり、また、そこに垣間見られる叡智の存在に驚きと感動を覚えるようになります。それとは全く正反対に、進化論的な視点から生物のしくみや構造の起源を考えた場合には、詳細が分かれば分かるほど謎が深まり、ますます奇妙に不気味に思えてくるのです。


参考資料:

ニュートン別冊「10万種類のタンパク質 ― 人体の最重要部品」ニュートンプレス

https://www.newtonpress.co.jp/separate/back_biology/mook_161025.html

(引用箇所: P96~97)