第1回 プロローグ

螺旋に心が惹かれる理由とは?

 幼い頃、よく玩具を買ってきてはベイごま遊びをしたものです。力強く引いた紐の勢いでこまに回転が加わり、安定的に回り続けるのを、じっと眺めていました。人は、回転するもの、螺旋運動をするものになぜか心が引かれてしまいます。潮流の衝突によって生み出される渦潮から、太陽系を取り囲む天の川銀河に至るまで、二重の螺旋運動が重なりあい、調和を生み出し、絶妙なバランスを保って自存している姿は、私たちを神秘的な気持ちに、あるいは親近感さえ感じさせてくれます。 

 なぜ私たちはかくも螺旋を描くものに心が惹かれるのでしょうか。その答えは体の中にあります。人間の身体を構成する最小の単位、細胞。さらにその奥深くに、身体を創り出す設計図が大切に収められています。DNAです。DNAは莫大な情報の連なりとして細胞の格納庫に収められ、二重螺旋構造によって安定的に存在しています。不思議なことに、体内のごく微小なDNAから宇宙の巨大な銀河系の構造に至るまで、さまざまな存在が螺旋形の相似をなしているのです。私たちが回転するもの、螺旋を描くものに心が惹かれるのは、体の中にあるDNAが、螺旋を描くものに共鳴を起こしているからなのかもしれません。

DNA

生命の本質=遺伝子??

 DNAのうち、タンパク質生成に関する具体的な意味情報を持つ単位を遺伝子と言います。遺伝子の特徴のひとつは、その言葉が意味する通り、自己の持つ情報を子に伝達する役割を持っているということです。親の持つ形質の特徴、身長、髪の色、体型などは遺伝子に記述されており、これを受け継いだ子孫は親の性質のおよそ半分を受け取るようになります。遺伝子というバトンが世代を超えてリレーされることで、生命は自己のアイデンティティを子孫に残していきます。

 そういった意味で、遺伝子とはまさに生命の鎖ともいうべき存在であり、その謎深さゆえ、様々な研究が20世紀以降行われてきました。さらに遺伝子を研究することによって生命とはなにかという根本的な問題にも一定の回答を示すことができるのではないか、そのようにして社会科学者、動物行動学者そして自然科学の学者が遺伝子のもつ意味について思索を深めていったのです。

利己的な遺伝子

 その研究の一つとしてまとめられたのが、イギリスの行動生物学者、リチャード・ドーキンスが著した、『利己的な遺伝子』(紀伊国屋書店出版、2018年第4版出版、第1版1974年発刊)です。遺伝子とは自己複製(コピー)する情報であり、複製を繰り返すことで、有限な世界に自己のコピーを増やしていく。利己的とは自己のコピーを増やすという点においてであり、遺伝子どうし、熾烈な生存闘争を繰り広げることによって、勝者が生き残って今の生態系がつくられていったと考えました。自己複製する利己的な遺伝子こそ生命の本質であり、生命(身体)とはとどのつまり利己的に行動するようプログラムされている遺伝子の乗り物(vehicle)だというのです。私たちの体内の細胞の一つ一つが、自己 の生存と繁殖という目的に染め上げられている生存機械(survival machine)だと言ったのです。このように書くと冷徹に聞こえるかもしれませんが、ドーキンスは気に留めるそぶりさえ見せません。どう足掻こうとこれは覆しようのない真実であり、お金を稼いで生活を安定させようとすることも、人を愛して結婚し子宝を授かることも、遺伝子が安定的に生存し、かつ次世代へのスムーズな世代交代をするためにプログラムされた(利己的な)行動に過ぎない、彼はこのように声高に主張しました。

 ドーキンスはこのように遺伝子を定義し、宇宙を含めた森羅万象を非常に冷徹で世界観・生命観に落とし込めました。前述した宇宙との共鳴の世界、目に見えない世界を全否定し、生命に利己性のくびきをはめ込んだのです。

生命の行動を説明する統一理論

 なぜドーキンスは、全生命が遺伝子レベルで利己的であるといったのでしょうか。そこには「利他的行為」の存在が念頭にあります。ダーウィン進化論によれば、全ての生命は生存闘争の渦中にあり、自然淘汰による審判を受けて最終的に環境に適応する個体が生き残る、とされています。そして環境に適応するということはある特定の環境でより安定的に生存し、より子孫を残すことができることを意味しています。したがって進化の過程において生き残る生物とは、より安定的に生存し、自分の子孫をより多く残そうと利己的に行動する個体であることが推測されるのです。

 ところが自然界を見渡すと、自己の生存を脅かし、繁殖の機会を放棄してでも、別の個体の利益のために行動する個体がいます。たとえば働きバチの献身的な労働。働きバチは自分が繁殖することもないのに、雄蜂や女王蜂、幼虫を助け、子育てをこなし、外敵の侵入に命懸けで立ち向かいます。一見すると完全に利他的なのです。このような利他的な行動は従来の進化論の説明にそぐわなかったため、なぜ生存闘争の世界に利他的な行為をする個体がいるのか、進化論の立場から統一的に説明する試みがなされてきたのです。この流れで登場したのが「利己的遺伝子説」だったのです。この説の具体的説明は、次回以降にまとめていくことにいたします。

 ドーキンスの利己的遺伝子説によって、利他的行為を含めた生物の行動原理を統一的に説明できたと当人は自負します。そうして、人間の行動原理までもこの利己的な遺伝子をもとに考察し、経済学や歴史学、心理学など学際的に強烈な影響を与えていくようになったのです。

遺伝子は本当に利己的!?

 しかし、私たち生命(特に人間)は単にそのような行動原理で動いているのでしょうか?人間が他者のため無条件に犠牲になる行為は枚挙にいとまがないですし、遺伝子どうしはお互いに協力し、合図を送り合いながら身体を構成していることも、最近の研究で明らかになっています。また心の状態によって遺伝子の機能のオンオフのスイッチが入ることもわかっており、遺伝子が心と脳を支配するとするドーキンスの主張と明らかに矛盾します。

 私たち人間を含めた生命の持つ遺伝子は、はたして利己的なのでしょうか。利己的でないとしたら、遺伝子が生命に対して持つ意味とは何なのでしょうか。そして私たち人間の存在理由とは何なのでしょうか。本シリーズではドーキンスの利己的な遺伝子論の考察とそれに対する疑問・批判を提示し、その後、近年の遺伝子の研究データと知見を参照しながら、遺伝子の持つ本質的な意味の背後にある生命観、世界観の探求の足掛かりとなる事実について考察していきたいと思います。