プラごみ問題から見る環境問題対策の限界

世界遺産ロードハウ島で見た衝撃的光景

 先日、とあるドキュメンタリー番組で。

 写真は、オーストラリア・ロードハウ島。世界遺産に指定されているこの島では、ミズナギドリなど世界中の渡鳥が産卵にやってきます。美しい南国の島に渡鳥。絵に描いたような光景が広がるこの島ですが、ここにも環境破壊がくっきりと現れています。

 実は、島の至る所に渡鳥の死体が転がっているというのです。調べてみると、胃の中からはパンパンに詰まったプラスチックゴミがでてきました。死因はゴミの飲み込み。胃の中のスペースを争うかのようにぎゅうぎゅうと詰め込まれた200以上のプラスチック片が体外にでてくる光景は、本当に痛々しいものでした。

ロードハウ島
ユーラシア大陸西部に位置する観光名所ロードハウ島
(引用: フリー百科事典ウィキペディア日本語版「ロード・ハウ島」, Fanny Schertzer – 投稿者自身による作品, CC 表示 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3176186による)
命を落とすミズナギドリ
プラスチック片を飲み込み、命を落とすミズナギドリ
(引用: https://www.youtube.com/watch?v=uizJaBHyZ-8

そこで私は思いました。

いったい誰がこんなかわいそうなことをしたのか。

なんでこんな状態になるまで放っておいたのか。

 しかし、答えは見つかりません。確かにそうです。見つかりようがないのです。

 プラスチックゴミが世界の海を蝕んでいるという明々白々とした事実はあるのに、誰がそうしたのか、どうしてこのような状態になるまで放っておいたのか、責任をとることが非常に難しいのです。つまり、みんなプラスチックを使って生活していて、排出したゴミがどの経路を辿って汚染しているのか、その過程が複雑すぎて、見ていて心が痛んだとしても、どう責任を持っていったらいいのか、実感が湧きづらいのです。これこそが環境問題の解決を難しくしている要因です。例えば、家の前に隣の家の人のゴミが捨ててあれば、それを拾い上げて、ゴミ箱に持っていき、隣人に次回から捨てないようにと話し合えば済む問題です。しかし、これが地球規模に拡大されれば、もはやどの国の、誰がどのように責任を持てばいいのか、わからなくなります。さらに一部の国々からは、先進国が今までほしいままに発展を享受してきたのに、今自分の国の発展を妨げるような規制をするなど不公平だとする意見さえあるのです。こういうことを言われてしまえば、環境規制も妥協せざるを得ません。

見えないところで深刻さを増すプラごみ問題

 プラスチックゴミ問題は、昨今その深刻さが増してきている世界的課題です。毎年ジャンボジェット機5万機分のプラスチックゴミが海に捨てられており、その重量は毎年増加しています。2050年には、海洋生物の総重量よりも、プラスチックゴミの重量が上回る、まさに「プラごみの海」と化してしまうと言われているのです。しかも、プラスチックは海洋を漂って摩擦や風化などで細かく分解されていきますが、これがマイクロプラスチックという粒子状の物質になってそのまま海を漂っていくのです。ろ過しても通過してしまうほどの小さなプラスチック粒子は、魚に蓄積され、回り回ってそれを食べた人に蓄積され、健康を害していくのです。

プラスチックゴミが打ち上げられた海岸
プラスチックゴミが打ち上げられた海岸
誰が、どこで捨てたのかもはやわからない

今の対処療法的対策で本当に解決するのだろうか

 誰に責任を負えばいいかわからない問題は、みんなで責任を負っていこう……。そのようにして近年は世界的なプラごみ減量の取り組みが始まりました。日本でもレジ袋有料化が始まりました。またスターバックスは、すべての飲料のストローを紙製のものに置き換えました。こうした地道な努力が、少しずつ、実を結んでいくかもしれません。

スターバックスの紙製ストロー
ストローを紙製に変えたスターバックス(引用: トラベル Watch, https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1220848.html

 しかし、それだけで十分でしょうか。本当にプラゴミをなくそうという対処療法的な取り組みだけでこの問題は解決されるのでしょうか。プラスチック製品の良さは、その丈夫さ、軽さにあります。安く製造でき、丈夫なので、今まで好んで使われてきたのです。しかしこれを紙や他のものに代替すると、生産コストもかさばる上、容器の丈夫さが損なわれます。その結果製品の生産コストが増大し、企業活動を圧迫していくのです。結局、利益を最大化させようとする企業のあり方からして、規制には限界があります。スターバックスのような一流企業なら、プラスチック削減は可能でしょう。しかし、これから発展していこうとする国々の企業に、同じような対策が可能でしょうか。国や企業体は、それぞれ価値観も、常識もまったく異なるのに、規制や対策という点だけで手を取り合って解決できるほど、環境問題は簡単な問題なのでしょうか。日本は、地球温暖化対策のため議長国となって京都議定書に調印し、CO2排出量を1990年比−5%にしようと取り組みました(チームマイナス5%などという言葉が当時流行しました)が、結局4%も上昇し、お金で解決することになりました。先進国でさえ解決が非常に難しい環境問題を、世界の国々が手を取り合って解決するというのは、非現実的なのです。

環境問題に対する正しい見方とは?

 では、プラスチックゴミ問題をはじめとする環境問題は、どのようにみていかないといけないのでしょうか。やはり歴史的に何度も過ちを繰り返してきた、自分さえ、自分の国さえよければという利己主義に目を向けなくてはいけないのではないでしょうか。どんなにプラスチックゴミを無くそうとしても、相手に規制を求めたり、自分の集団や国家だけ努力して責任を果たせばいいという考えでは、問題は解決されません。お互いがもし生存を争う対立関係、勝ち負けの関係で睨み合っている関係なら、いくら議論をしても、そこには妥協しか生まれません。ならばこの生命間の利己主義的対立関係を生み出した原因、すなわち進化論にこそメスが入れられるべきです。私たちの住む環境は偶然の産物なのか、共生して生きる家族なのか…隣人や他国は、利害関係なのか、兄弟関係なのか、今一度考え直していくところから、環境問題の議論は始められるべきなのです。

「地球の生き物はみんな家族なのに、どうして…」

ロードハウ島で力なく横たわった渡鳥から、そんな声が聞こえてきそうです。