コアラ③ 母から子へ伝わる腸内細菌

なぜ、お母さんコアラのお腹の袋は下向きなのか?

 皆さんもご存知のように、コアラはオーストラリア特有の「育児嚢(いくじのう)」と呼ばれる、おなかに袋をもつ有袋動物(ゆうたいどうぶつ)でこの育児嚢の中で子供を育てます。生まれたばかりの赤ちゃんコアラは毛もなく、体長わずか2センチで、目も耳も発達していません。そんな赤ちゃんは、強い前足で嗅覚と触覚、さらには方向感覚を頼りに、自力でお母さんコアラのお腹にある袋にたどり着くのです。そして赤ちゃんコアラはお母さんの袋の中にある乳首を吸って母乳をとり、この中で生後6~7か月育てられるのです。

 さて、メスだけが持つ、子育てのためにお母さんが持つ育児嚢ですが、コアラと同じ有袋動物で有名な、カンガルーの袋の口は上向きで、赤ちゃんカンガルーがちょこんと顔を出している姿をよく見かけます。しかし、コアラの袋の口は、なんと下向きなのです。もちろん袋の口は筋肉を締めて閉じるようになっているので、赤ちゃんコアラが落ちてしまうことはありません。でもなぜ、下向きなのでしょうか…。それは、生後5か月ごろになるとお母さんコアラの排泄口(おしりの穴)から出される、「パップ(pap:英語でパン粥の意)」とよばれる「離乳食」を食べるのに都合がいいからです。袋の中の赤ちゃんコアラはお母さんコアラの袋から顔だけを出して、安全にパップを食べることができるのです。

コアラの親子

コアラの離乳食パップは腸内細菌の宝庫!

 パップは緑色で、腸内細菌と栄養を豊富に含む、無味無臭の粥状のユーカリ未消化物です。このパップを食べることによって、子供は自分のお腹に細菌を取り込むのです。細菌の種類によって分解できるユーカリの種類も変わるというのですから、家族ごとに食べるユーカリの種類も少しずつ異なるといわれています。パップは栄養価が高く、2週間で体重が2倍になるほどです。

 通常の糞便は50%が腸内細菌の死骸です。コアラの糞は2センチ前後の円筒形ですが、前もってこの消化管内の糞便を排泄して除去した後、パップを出すのです。パップは排泄物ではなく離乳食として区別されているわけです。

 続ざんねんないきもの事典(高橋書店発行)では次のように書かれています。

「コアラはお母さんのうんこをたべる、そもそも食用のうんことはなにか?というモヤモヤはのこされたままです。」(P98)

しかし、「お母さんのうんこを食べる」は事実ではありません。なぜなら、お母さんコアラの盲腸でつくられた細菌たっぷりのパップは、普通の糞便とは明らかに区別できるからです。出されるところが同じであっても、内容が全く異なります。糞便は腸内細菌の死骸ですが、「パップ」は生きた腸内細菌なのです。ですから、これを「糞」とか「うんち」と表現するのは適切ではありません。赤ちゃんコアラが、これから毒性のあるユーカリの葉を消化して、生きていくためには絶対に欠かせない離乳食なのです。この離乳食パップを、赤ちゃんコアラが、安全で、しかも素早く新鮮に食べることができるように、お母さんコアラの袋が下向きという、体の構造までが備わっていることは驚きであり、感動です。このように母から子へ腸内細菌を伝授しながら生命をつないでいるのです。ざんねんどころか素晴らしい生命の営みであり、親子の愛を感じませんか?

赤ちゃんをおんぶするお母さんコアラ

 ここまで3回に分けて一緒にコアラについて見てきましたが、皆さんはどんなことを感じられましたか?

 コアラは、毒性のあるユーカリの葉を食べることができるように、葉を識別する独特の嗅覚と味覚、さらには腸内細菌による発酵と解毒する仕組みをもっています。また、長い時間、樹の上で寝ていることに適した体型をしたコアラです。さらに、親から子に、独自の腸内細菌を受けつぐための離乳食パップや、お母さんコアラがもつ下向きの袋の構造が備わっています。これらのどれか一つ欠けても、毒性のあるユーカリの葉を主食にして生きる、一連の仕組みは成り立ちません。

 毒性の葉っぱを食べることができるようになれば生き残れるからと、たまたま、偶然が重なって、ここまで巧みな仕組みと構造ができるでしょうか。これまで見てきた一つ一つの仕組みが、偶然が積み重なって、同じ方向に一致して備わるということは、とうてい考えられません。なぜなら、「偶然」には「目的」、「方向性」がないからです。

 ユーカリの樹を住みかとして、毒性のあるユーカリの葉を主食とし、ゆっくりと消化する、そのことがまた、ゆったりと、いつも樹の上でのんびりする生活スタイルとなっているのです。それが、顔や体の形と相まって、愛らしくて可愛いコアラなのです。体、機能、生き方、そのまますべてが「コアラ」なのです。たまたま偶然進化した結果の、ざんねんな姿で生きているのではなく、コアラは、元々ユーカリの葉を食べることのできる仕組みや、体の構造がデザインされ、設計によって創造されたと考えるのが自然だと思います。

 コアラの小さなお腹の中でさえも、腸内細菌が美しい形態の生態系をつくりコアラと共存しているように、この自然界も、本来の美しさを奏でながら、秩序と調和を保ちながら、一つ一つが互いに関係性をもって、「共存する世界」としてすべてが設計され、創造されたのではないでしょうか? 進化論でいう、環境の変化に適応して、たまたま、偶然に進化したものが生き残る、「生存競争の世界」ではないということです。

 このような進化論の考え方からは、生命の貴さや、生きる目的を見出すことはできません。進化論的思考で、はじめからざんねんとする見方を植え付けてしまっては、自然や生き物たちを通して感じる子供たちの純粋な感性を曇らせ、人間の豊かな心を育む道を塞いでしまうでしょう。そのことこそが、残念な生き方ではないかと思うのです。

樹上で佇むコアラ

<引用資料>

● Mykinsoラボ(マイキンソーラボ)
 『コアラの食生活と社会行動を決める食糞』
  https://lab.mykinso.com/kenkyu/20171010_1/

● Australian Koala Foundation
 『コアラ豆知識』
  https://www.savethekoala.com/japan/jpkoalasfacts