生命科学が明らかにしたデザインの存在 ② 大腸菌ももっている「絶妙な制御システム」
2段階からなる大腸菌のトリプトファン合成制御
今回は、代謝制御の一つの例として、大腸菌のトリプトファン合成制御を取り上げながら、そのデザイン性について考えてみたいと思います。
大腸菌は腸内環境にアミノ酸のトリプトファンが欠乏するようになると、生き残りのために他の化合物からトリプトファンを生産する生合成経路を活性化させます。また、環境が改善されトリプトファンを自由に摂取できるようになると、自分でわざわざトリプトファンを合成するという無駄を省き、環境からトリプトファンを取り入れるようになります。
大腸菌のこの代謝制御は以下の2段階で行われていることが知られています。
その第一段階はすでに存在する酵素の活性を調整することです。トリプトファン合成経路の最初の酵素は、この経路の最終生産物であるトリプトファンによりその活性が阻害されるようになっています。典型的なフィードバック阻害です。
第二段階は酵素自体の生産量を調整することによって、つまり、酵素をコードする遺伝子の発現を制御することによって行われています。
第1段階:酵素の活性を調節する
まず、第一段階の酵素活性の調節についてみていきましょう。トリプトファン合成経路の最初の酵素は、トリプトファンによって活性が阻害されるようになっていますが、そのしくみはアロステリック効果によるものです。
アロステリック効果というのは、タンパク質の機能が他の化合物によって調節されることを言います。トリプトファンがこの酵素の活性中心以外の部分(アロステリック部位)に結合することによって酵素の構造変化が起こり、基質が酵素にうまく結合することができなくなることによって酵素活性が低下してしまうのです。
つまり、トリプトファンが豊富に存在する場合には酵素活性が抑制され、その結果としてトリプトファン合成が抑えられることになり、トリプトファンが欠乏してくると、酵素活性を高めることによりトリプトファン合成が進むようになっているわけです。
第2段階:酵素の生産を制御する
第1段階の制御はすでに存在する酵素の活性を調節することによる即効性のある対応でしたが、次に見る第2段階の制御は代謝に必要な酵素の生産に関わる、より時間がかかる対応となっています。
トリプトファン合成経路ではたらく酵素のサブユニットをする5つの遺伝子は、大腸菌の染色体上に連なって並んでおり、単一のプロモーターがこれらの5つの遺伝子すべてを制御するという形で一つの転写単位を構成しています。元々この転写単位自体はプロモーターへRNAポリメラーゼが結合できる状態にあり、転写が可能な状態になっています。
ところが、オペレーターと呼ばれる部分にリプレッサーが結合すると、RNAポリメラーゼがプロモーターへ結合できなくなり、転写が抑制されることになります。つまり、オペレーターへのリプレッサーの結合を通して、転写スイッチのオンオフを制御しているというわけです。
上記のリプレッサーは大腸菌細胞の中に常に低レベルで存在しているのですが、元々は不活性型として生成されるので、そのままではオペレーターに結合することができません。ところが、トリプトファンの量が増えてくると、元々活性型であったこのリプレッサーにトリプトファンが結合することで、リプレッサーが活性型へと変化し、オペレーターに結合できるようになります。この場合がスイッチオフの状態で、トリプトファン合成に必要な酵素の生産がストップされることになります。
リプレッサーのオペレーターへの結合は可逆的で、オペレーターにリプレッサーが結合している状態と結合していない状態が共存しているのですが、トリプトファンが少なくなると活性型のリプレッサーが減少し、オペレーターにリプレッサーが結合している状態が少なくなります。この状態がスイッチオンの状態で、転写が進み、トリプトファン合成経路に必要な酵素が作り出されることになります。
トリプトファン合成制御システムに見られるデザイン性
元々酵素というものは、自体の持つ立体構造の特異性によって、基質に対して特異的に作用し、その巧妙な立体構造によって触媒のはたらきを行っているわけですが、その立体構造を構成するために必要なサブユニットをコードする遺伝子がオペロンというまとまりの中にうまく配置され、統一的に協調的に制御されていることにまず驚かされます。
キャンベル生物学(原書9版):P422には、「細胞内の物質とエネルギーを節約することのできる細菌は、それができない細菌よりも選択的な優位性を持っている。このように、細胞に必要とされる生産物の遺伝子だけを適切に発現する細菌が自然選択により選抜されることになる。」という表現が見られますが、ある特定の選択的優位性を持つ生物がそうではない生物よりも自然選択により選抜されやすくなるということは同義反復に過ぎません。このようなシステムの成立に対して何ら言及することがないにも関わらず、進化論によってあたかも説明がついているかのような誤った印象を読者に与えています。圧倒的なデザインの印象を少しでも和らげるために、このように述べざるを得なかったのかもしれません。
しかし、ここでよく考えて見ましょう。このような非常に巧妙で見事なシステムは一体どのようにして出来上がったのでしょうか?
このようなシステムがデザインされたものだと考えれば非常に納得がいきます。不活性型のリプレッサーにトリプトファンが結合することで、リプレッサーが活性型となり、オペレーターに結合できるようになり、そのことによってRNAポリメラーゼのプロモーターへの結合が妨げられ、遺伝子の転写が抑制されるというこのシステムは、その絶妙さに驚きを覚えますが非常に合理的に出来上がっており、デザインという観点から眺めた場合、何ら違和感なく自然に受け入れることができます。
デザインされたとの判断が合理的で理性的
しかし、このようなシステムが、進化論が主張するような、何ら導かれることのない、偶然の積み重ねと自然選択によって出来上がったと考えようとすると、非常に大きな違和感と不自然さと疑問を感じてしまいます。そもそも、このような「還元不可能な複雑性」を持つシステムは、漸進的変化によって、自然選択によって、その機能に磨きがかけられていったなどとは考えることができません。
もし、ここに何らかの構想や計画がなかったとしたら、リプレッサーもトリプトファンもオペレーターもそれぞれが全く無関係に偶然の積み重ねで出来上がったことになるはずです。構想や計画がなかったということはそういうことを意味しているのではないのでしょうか?
それぞれ全く無関係に偶然に出来上がったものたちが、たまたまうまく組み合わさって、このような巧みなシステムが出来上がったと我々は信じなければならないのでしょうか?
そのように信じることが科学的であり、このようなシステムはデザインされたものだと判断することが非科学的なのでしょうか。
このようなシステムが、偶然の積み重ねで出来上がったと考えるのと、デザインされたものだと考えるのと、どちらがより合理的で理性的な判断なのでしょうか。
著名な進化論学者である富田隆も「進化理論は、機械論的になされるか、創造説によるか、そのどちらしかない」と言っていますが、生命の誕生やその進化には知性が関わっているのか関わっていないのか、そのどちらか一方でしかありえず、その中間はありえません。この問題は完全な二者択一の問題であり、そのどちらかが真理であるはずです。
生命科学が生命の神秘をより深く解き明かせば解き明かすほど、その背後に潜む叡智の存在が明確に浮かび上がってくるように思われてなりません。
唯物論、自然主義という呪縛から解き放たれ、素直な心と目で科学を見つめ直すときが来ているのだと思います。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません