【6】科学的検証-生命の起源 ① 『原始地球の海から宇宙へ“逃避”』

 日本時間2月19日早朝。

 「着陸確認!探査車は火星に無事着陸!」

火星
赤い惑星・火星。アメリカの科学者らは、火星にいた微生物が地球にもたらされたシナリオを追求しているが…。

 米航空宇宙局(NASA)の研究者たちが無人火星探査車「パーシビアランス」が無事に火星に着陸したことを受け、両手を上げ、拍手し、こぶしタッチし合って喜ぶシーンが世界に伝えられました。

パーシビアランス(イメージ図)
火星に着陸した無人火星探査車パーシビアランス
(引用: NASA’s Mars 2020 Exploration Program, NASA/JPL-Caltech.

 パーシビアランスの最大のミッションは、火星に生命の痕跡を見つけること。東大の研究者も「地球以外にも生命はいるのではないかという科学の最大の謎の1つに一気に迫るもので、世界中が注目しています」と語っています。

 なぜ火星に生命がいる可能性が高いと考えているかというと、火星表面の地形や岩石から35億年年以上前の火星には海が存在したと推定しているからです。豊富な水の存在は生命の誕生・活動に不可欠だからです。

 そして、科学者たちがそれほど期待しているのは、火星に微生物であっても生命がいた、あるいは過去に生きていた証拠が見つかったとすれば、宇宙から生命がもたらされたというパンスペルミア説の重要な根拠になると考えているためです。

 信仰としてのパンスペルニア説はエジプト古王国にさかのぼるとされますが、近代においてはスウェーデンのスヴァンテ・アレニウスが1903年に提唱しました。

 1981年にはノーベル賞受賞者のフランシス・クリックレスリー・オーゲルが、高度に進化した宇宙生物が生命の種子を地球に送り込んだとする仮説を提唱。意図的パンスペルミア説と呼ばれています(参考: フリー百科事典ウィキぺディア日本語版「パンスペルミア説」,https://ja.wikipedia.org/wiki/パンスペルミア説)。

 実はパンスペルニア説は長い間あまり相手にされませんでした。なぜなら、最初の生命は地球上の水の中で発生したとして多くの科学者がその可能性を探る研究をしてきたからです。

 しかし、原始の海で最初の生命ができた可能性に期待をさせ、教科書にまで掲載したシナリオであるのに、詳しい研究が進む中で、そのシナリオは限界にぶつかっていきました。その中で注目され始めたのが宇宙から生命がもたらされたというパンスペルミア説なのです。

 ですが、こんな無責任なことはないでしょう。会社である幹部が「こんな事業が成功します」と言って社長を説得、やってみたら大赤字。その結果を受けて、なぜ事業がうまくいかなかった精査し反省して次の方向性を出すのが当たり前です。

 生命の起源問題を扱う科学者の間では、原始地球の水の中で生命が進化したという説を唱えてうまくいかなかったのに、精査も反省もなく、宇宙へ研究対象を移して逃避しているように見えます。

 筆者はパンスペルニア説も捨てられる流行仮説の一つになるだろうと予測します。その理由を明らかにするために、まずダーウィンが生命の起源についてどのように考えていたか、ということから説き起こしていきましょう。

 ダーウィンは『種の起源』(1859年刊)の中では最初の生命については言及しませんでした。類人猿が人間の祖先であることを意味する自然選択説だけでも宗教界から猛反発を受けることは必至であったため、そこは明確にすることを避けたのかもしれません。

 しかし、後にダーウィンの立場ははっきりしていきます。

 ダーウィンは1871年、友人のジョセフ・フッカーに宛てた手紙の中でこう書いています。

 『最初の生命が誕生した条件は、現在でも存在し、またこれまでもずっと存在していたのではないかとよく言われます。しかし、もし(とんでもなく大きな「もし」ですが)どこかの温かい水たまりにさまざまなアンモニアやリン酸塩が存在し、光、熱、電気などでたんぱく質が化学的に合成され、さらに複雑な変化が起きる準備ができたとしても、現在ではそのような物質はすぐに食べられたり、吸収されてしまうでしょう。でも、生命が誕生する前ならばそうではなかったはずです。』

 そして、このダーウィンの考え方を具体的な仮説にした科学者は共産主義のソ連から現れたのです。

 ここでダーウィンの進化論の登場直後から影響について触れておきます。進化論は当時の二大価値観を根底から支えますが、一つが帝国主義、もう一つは共産主義。帝国主義にとって、生存闘争によって人類が進化してきたという考え方は追い風になりました。そして、暴力革命、粛清などを正当化するのに、神を葬り去る進化論は都合がよく、マルクスをはじめ共産主義者が大歓迎しました。このように二大価値観の勢力が進化論を支持し、反対に二大勢力の価値観をもつ科学者が進化論を補強していくという流れで、進化論の毒はさらに人類文明全体を蝕んでいったのです。

 ダーウィンが詳細に述べなかった生命の起源問題に対して、1922年に学会で化学進化説を唱えて、科学のような体裁を与えたのが、旧ソ連の科学者A・I・オパーリンです。

 化学進化説は要約すれば、原始の熱い海の中で、簡単な分子が化学反応を繰り返して複雑な分子ができ、偶然に偶然が重なって原始生命が誕生したというものです。

 ダーウィンがシナリオ原案を示し、オパーリンがより具体的なシナリオにし、そして欧米の多くの科学者がそれに夢中になり追随していったのです。

 次回、オパーリンの化学進化説を確認、それについて行ったミラーの実験について言及したあと、偶然を頼りにする化学進化説が科学法則にも反するトンデモない仮説であることを述べていく予定です。