ちょっと一言!!『ID理論を正しく理解するために』

ID理論に対する批判の中に、「ID理論は科学を装った宗教である」というものがあります。
これは事実誤認に基づく明らかに間違った判断です。

 ID理論は「この世界は神が創造したはずなので、進化論は間違っている」などと主張しているわけではありません。「科学的事実に基づいて理性的に判断すれば、この世界の成り立ちや生物のある種のしくみの中には、デザインされたとしか考えられないものが存在する」と主張しているに過ぎません。

 だから、進化論のすべてを否定しているわけではありません。「進化」という現象を種内部における軽微な変化である「小進化」と種を跨ぐような大きな変化である「大進化」とに分けて考えた場合、「小進化」の延長線上に「大進化」があるという考え方に疑問を呈しているのです。

 種内部にもともと存在する遺伝子多型や、遺伝子の突然変異に基づく種内部における個体の多様性が、自然淘汰による選択を受けることによって、世代を重ねるごとに変化していくという現象は実際に起こっていると思われます。しかし、そのような積み重ねによって、目ができたり、翼ができたりするような大規模な変化が起こったと考えるのは間違っているとID理論は考えているのです。

 つまり、これまでに存在していなかったような全く新しいシステムが、理性の働きや導きなくして、生じることはないとID理論は考えているのです。新しい情報や新しいシステムが生み出されるためには、目的、方向性、構想、計画、知性、予見性などの何らかの心の働きが必要であると考えているわけです。このような心の働きなくして、新しい情報や新しいシステムが出来上がるという考え方は、経験的にも理性的にも受け入れがたいと主張しているのです。

生命の情報を運んでいるDNAのイメージ図
生命の情報を運んでいるDNAのイメージ図

 進化論を真理であるかのように思っている人がまずはっきり知らなければならないことは、進化論は生命の誕生や大進化について、ほとんど何も説明できていないという事実です。進化論はすでに明らかになった事実であるかのように装っていますが、そこには何ら科学的証拠があるわけではありません。それはただ「この世界には目的、デザインなとどいうものは存在せず、物質とエネルギーと物理的化学的法則によって説明できるはずだ」という信念に基づいた一つの誤ったものの見方に過ぎません。

 複雑なシステムが作動しながら、その部品を一つ一つ交換しながら、全く異なったシステムを作り上げるなどということは考えられないでしょう。なぜなら、システムというものはその構成要素が相互依存的に存在し、それぞれがその果たすべき役割を果たすことで成り立っているからです。では一体、生物の大進化は如何にして起こったのでしょうか。新しいシステムを作り上げるためには、まずその構成要素が全て揃っていなければなりません。そのためには新しいシステムの構成に必要なタンパク質を生み出すための遺伝子が全て準備される必要があります。そして、それと共に、その準備された遺伝子を秩序正しく、正しい順番で発現させていく精密なプログラムも必要です。このような過程を経ることなく、全く新しい革新的なシステムが出来上がることはまずあり得ないでしょう。

 生物の大進化が、偶然による突然変異と自然選択によって起こる可能性はあるでしょうか?計画性や予見性というものなくして、そのようなことはあり得ないでしょう。だから、生物の大進化はデザインされたものだとしか考えられないのです。

 ID理論は、正しい世界観や人生観を持つために必要な知識であると思っています。進化論や唯物論に騙されて間違った人生の選択をすることがないように、正しい知識を身に着けるべきです。正しい生き方は正しい世界認識から生まれてきます。