【2】ダーウィン理論の正体 『人種差別は理論的帰結』

 今回はアメリカで大問題になっている人種差別問題についてまず考えてみましょう。

 1960年代、キング牧師が公民権運動を通して闘い、黒人の地位は改善したものの、黒人が犠牲になる事件は後を絶ちません。

マーティン・ルーサー・キング牧師

1964年、記者会見する公民権運動指導者
マーティン・ルーサー・キング牧師
(引用: フリー百科事典ウィキペディア日本語版「キング牧師記念日」)

 ジョージ・フロイドさんが2020年5月25日、白人警官の膝に8分46秒押さえつけられ、「息ができない」と何度も訴える中で亡くなりました。その様子が動画で配信され、世界に衝撃を与え、全米で抗議デモが起こりましたが、その後も犠牲者が相次ぎました。

大阪なおみさんの勇気に世界が感動

 大坂なおみさんが全米オープンテニスで優勝までの試合ごとに亡くなった黒人の名前を入れた黒いマスクを着けて「議論してほしい」と投げかけましたが、その勇気に世界が感動するとともに問題の根深さを実感しました。

 人種差別問題の根っこに何があるのでしょうか。米国で進化論を批判して立ち上がった科学者たちの運動インテリジェント・デザイン(ID理論)のリーダーらも指摘しているように、GCODEも問題の根源に進化論があることを明言します。

 進化論がなぜ人種差別の根源にあるのでしょうか。

 後で詳しく書きますが、進化論が言う「生存闘争」「自然選択」の結論は、「進化の遅れた人種」と「より進化した(優れた)人種」が必然的に出てくるということになります。つまり、進化論で言う進化とは、優れた人種(強い人種)が劣等な人種(弱い人種)に対して生存闘争を生き残った、あるいは今なお生存闘争が続いているという考え方なのです。

 これについてはダーウィンも『人間の由来』の中で表現しています。ダーウィン自身は奴隷に対して優しい人であったと伝えられていますが、ダーウィンの提唱した進化論は人種偏見、人種差別を助長するものだったのです。

 ですから、映画『鬼滅の刃』を前回取り上げましたが、進化論は人間を“鬼”にしてしまうような価値観と言っても言い過ぎではないと思います。

 進化論の別の結論は、「人間の起源は下等動物、究極的には物質」であり、「人間は目的をもって創造されたのではなく、偶然の産物」。これは「より有利に生きるために、生き残るために生き方は自由に選べばいい」という価値観につながっていきます。

 つまり、進化論は人間精神の無秩序化を加速したのです。宗教、道徳などすべての伝統的価値観を溶かし尽くしてしまう効果を持ち、キリスト教などの宗教が証ししてきた神は人間が創り出した観念であり、「妄想」と決めつけています。

 多くの日本人は神と縁遠いように見えますが、自然を通して畏敬の念を抱く人間を超えた存在を心の奥底に感じてきたのではないでしょうか?

 そうした日本の目に見えない良き精神文化も、進化論を根源にもつ唯物思想、物質主義によって蝕まれているわけです。

 「神」がいなければ罪という概念もありません。ロシアの文豪ドストエフスキーが著書『カラマーゾフの兄弟』で描いたように、「神がいなければすべてが許される」ことになります。

 進化論は、肉食動物が草食動物を襲って食べるのを生存闘争の目でみますから、強い人間が弱い人間をいじめるのは“進化の法則”に合っているということになります。自由を奪い、虐待し、支配し、持っているものを奪い、命を奪うという弱肉強食の悲惨な歴史は何度も繰り返されてきましたが、進化論は弱肉強食を科学の名のもとに道徳的に称えられるものにしてしまっているのです。ダーウィン自身は「弱肉強食」という言葉は使ってはいませんが、進化論は「弱肉強食」が人類を支配する道を開いたのです。

生かされていないナチの犯罪の教訓

 このような価値観に支配された指導者が国家を牛耳れば、恐ろしいことが現実になります。今、中国共産党が少数民族などに対して行っていることであり、これはヒトラーのナチが行った犯罪に対する教訓が何も生かされていないのです。

 米歴史学者リチャード・ワイカート氏は次のように述べています。

 「ダーウィニズムそれ自体がホロコーストを生み出したわけではない。しかしダーウィニズム、特に社会ダーウィニズムや優生学というその変種がなければ、ヒトラーや彼のナチ追随者たちは、世界で最悪の残虐行為の一つが道徳的に称揚されるべきものなのだと納得させるための、必要な科学的根拠を持つことはできなかったであろう」

 ナチの犯罪を世界レベルで深刻に反省し、進化論克服へ向けた努力が始まっていたなら、その後の共産主義による甚大な犠牲を抑制することができたかもしれません。

 人類の最大の敵は、特定の人間とか国ではなく、進化論とそれから派生した価値観であることに気づくべき時が来ています。 次回は日本では特に深刻ないじめ問題について考えてみたいと思います。